シッポノリンカク

映画好きで絵描き好きな曖昧模糊な記憶。又は、自由闊達な解釈。或は、落書き。

迎春の珠ちゃん:二重生活

 

※以下ネタバレ注意です。

冷たい空気、曇天の朝。白石珠はタバコの煙を吸い込んで放心し、階下の親子を眺めている。彼と同棲するアパートのベランダから向かいの家を見下ろした時、駐車場に幸せそうな若い両親と幼い娘の光景が在る。

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珠は大学院で哲学を学び、論文の題材について教授に相談します。そんな時、教授の目にソフィ・カルの本が目に入る。それは運命の歯車です。一冊の本が人の衝動や感情を他人に伝える歯車のように感じます。その本をキッカケに教授は珠に理由のない尾行を進める。

映画“二重生活”はソフィ・カルの言葉で始まります。

ソフィ・カルは他人を尾行し、私生活を公開する事で芸術表現した人です。教授は、珠が内に秘めた人間存在に対する疑問を哲学するためにソフィ・カルの手法を提案したのです。

その後、珠は向かいに住む家族の父親である石坂を街中で見つけ、彼の後を付ける。その先で妻ではない女性との関係を目撃してしまう。その事を珠は記録する。

そうして、珠の理由のない尾行が始まり、石坂の二重生活を観察する生活が始まるのです。

 

珠は石坂の尾行にのめり込みます。健全な父親、熱意ある編集者や愛欲に溺れる男性を記録し続けます。同棲する彼よりも、石坂の生活に関心を持ちます。哲学の題材としてではなく、石坂という男性自身に関心が傾いているように感じます。

結果的に石坂の二重生活は破綻し、珠の尾行は石坂にばれてしまう。

尾行を理解できない石坂は珠を問い詰めます。珠は石坂を誘惑し、尾行の充実感を口にして、過去の恋人への喪失感を語ります。そして、自身はとり残されてしまう存在なのだと涙するのです。身も心も振り回される石坂の身になって思考すると、困った女性です。

珠の充実感の正体は置いて行かれてしまう寂しさの埋合せなのだと感じます。待っているから置いて行かれてしまう。その寂しさは追いかけ続けていれば訪れない感情です。

更に、珠は石坂の二重生活へ至った動機に好奇心を膨らませます。しかし、その好奇心は理由のない尾行では禁忌の行動です。相手に興味を持ち、対象者から感情を吐露させてしまうと心理を観察する事になってしまう。人間存在の哲学ではなくなってしまいます。執着は理由のある尾行になってしまう。

もしかすると、始めから珠の尾行は理由があったのかもしれませんね。

珠は石坂を追いかける事で自身の存在を安定させていたのではないでしょうか。石坂には珠を安定させる素質が在ったから尾行の対象に選ばれた。石坂が父性愛を注ぐ娘と自身を重ね合わせ、石坂を追う事で父親を追いかけていた。石坂の愛欲を満たす愛人に自身を重ね合わせ、かつての恋人を追いかけていた。喪った父親と恋人の面影を追いかける二重の尾行だったのかもしれませんね。

 

珠の視点を追いかける事で映画鑑賞も尾行であるような錯覚が心中をよぎります。

物語を追いかける事は物語の観測者である事を再認識させられました。個人的な感覚なのですが、物語への集中が始まる瞬間は、自身の喪失感に反応した瞬間からなのかもしれません。好奇心をくすぐる装飾を施した鍵を手に入れたような、その鍵で開く扉の先を覗きたくなるような。好奇心の奥底に喪失感が在るなんて、随分と擦り切れていますね。

でも、擦り切れてしまったから心地良いと感じられる作品に出会えるのでしょう。

不安定から安定へ、喪失から充足へ、人の心が手さぐりで足を踏み出すような前向きさがこの映画から感じます。

 

その後、珠は尾行する対象者を秘かに教授に変えて尾行し、彼の去ったアパートで孤独に論文を完成させます。でも、教授は論文を読み、尾行された事を見抜きます。その論文に対する教授の採点は満点を得られませんが、高得点を獲得します。失点は対象者のみが知る秘密の部分でしょうか。

教授は珠の論文を採点し、首を吊ってしまう。どんな絶望が教授を支配したのだろうか。もしかしたら、教授は珠の中に在ると安心してしまった結果なのかなとも感じるのです。珠の心中で、かけがえのない自身が在る事に満たされてしまった結果なのかな…。それは諦観と自己陶酔じゃないか。哲学は生き抜くために活用できなかったのかなと考えってしまう。珠に執着してしまった成れの果てなのでしょうか…珠って魔性気がありますね。珠の魔性っ気は心の飢餓感から滲み出す臭気みたいなものに感じます。教授についてはなんだかよく理解できませんでした。人生の経験値が不足しています。

 

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結末は春へ向かう。珠の論文の結末に、「理由のない尾行は自分を他人と置き換え、他人を知る事」と記されています。これは尾行のみでなく、物語にも共通する理です。だから物語で他人を知ろうとするのでしょう。登場人物に共感して一喜一憂する。でも、物語は自身の経験や感情を反映して共感する事しかできません。

他人と深く語り合っても、その人を理解しきれません。理解したつもりで共感するしかないのです。

それでも、知ろうとする事に意味がある。他人を理解する過程で自分を知る事があります。自分を理解して他人との関係性を感じる事もあります。そこに自身の形を感じる事が出来ます。解らない事を知る快楽を知ってしまったから、未知の世界への好奇心が芽生えるのでしょう。自身が変化すると、理解の仕方にも変化が現れます。理解はその繰り返しです。

そんなもどかしい一進一退を積み重ねる事が、人を前向きにさせるのだと感じます。