シッポノリンカク

映画好きで絵描き好きな曖昧模糊な記憶。又は、自由闊達な解釈。或は、落書きやネタバレ。

メカトピアの紺碧:ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団

 

ひょんな事がキッカケで、思わぬ方向に事態が向かってしまう事があります。

出来事の収束は同じであっても、その過程が大きく変化してしまい新しい可能性が生まれる事。それは、ある時点から分岐して大きく変化を繰り返し、平行する世界が存在する気配です。

リメイクされた映画“ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団”ではそんな、可能性が楽しい。

 

前回、旧作である“ドラえもん のび太と鉄人兵団”の記事を書いて、リメイクされた作品も観てみました。とっても良い作品です。

物語前半の展開は前回同様なのだが、ドラえもんのある道具が大きく作品の内容を変えていく。そして、その過程で描かれる心のふれあいから新しい感動が伝わってくる。

新しい要素が加わり結末に至る過程が大きく変化しても、のび太たちの向かう未来は変わらない。その事から伝わってくるまごころのかたちを感じことができます。

 

ドラえもんがポケットから出す『おはなしボックス』が新たなキャラクターを生み出す。

人間を奴隷化するためにメカトピアから地球へ送り込まれた巨大ロボットの頭脳のジュドは、ボーリング球のような見た目です。凶暴なジュドは地球の言葉を話す事ができない。だから、ドラえもんは『ホンヤクコンニャク』と共にジュドを『おはなしボックス』に放り込んでしまう。

そして、ジュドはヒヨコのような姿で言葉が話せるように変化する。

タンポポ色の身体に真っ赤に膨らんだ頬っぺた。その頭に紺碧色の殻を被っている。大きな黒目でのび太を見つめる。可愛い容姿とは裏腹に毒舌で聞かん坊のジュドはのび太たちと悶着を起こす。

ボーリング球を卵に見立て、ヒヨコに変化させた展開が面白い。ヒヨコは成長過程の姿で、可能性ある存在です。その頭上の殻は過去の姿形の名残であり、メカトピアで生まれた証です。過去に育まれた価値観の現われでもあるように感じます。その殻を脱ぎ捨てる事もできるけれど、そうしようとはしません。

そのジュドをのび太ピッポと名付ける。ピッポのび太たちと行動する事で人間を知り、その経験を自身の過去に重ねながら心の成長を遂げて行く。

争い合わなくてはいけない関係のピッポのび太の友情があたたかく、切ない。

その心はメカトピアから来たリルルと交信する事ができます。ピッポの心の経験値はリルルと共有し、共に悩み、リルルも心の成長を遂げます。

ピッポとリルル、二人の葛藤した心は過去から未来を変化させます。のび太の友情やしずかちゃんたちのおもいやり、ドラえもんたちとの仲間意識がメカトピアを創造主の理想に近づけたのです。

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旧作ではリルルだけが人間とふれあい、葛藤した末にある決断を下します。その孤独に対する逞しさが心を惹かれる存在でした。のび太銃口を向けられ微笑み、自己犠牲が喜びへと至る結末に、この映画を貫いて描かれている争いと共存に深みを与えました。

物語にピッポが加わる事で友情が描かれ、ピッポが加わらない事でリルルの孤独が際立って描かれる。どちらも悩み多き現在を生きる人を惹きつける作品です。

 

ドラえもんのSFファンタジーの世界観に、残酷な現実に存在する深刻なテーマを織り込む事で大切なものを感じる事ができます。

のび太たちはどこか貪欲に生きています。ドラえもんの道具で楽に生きようと、困ったら道具に頼って物事の解決を企みます。でも、単純に効率や利便性だけの為に生きようとしません。道具を利用して誰かの気持ちを傷つけた時、立ち止まります。自分だけが楽に生きようとせずに、どうすれば優しくふれあえるかと葛藤します。純粋な心の活動を感じるのです。

そこから伝わってくるまごころ。

それは、人によってカタチの違う感じ方をしていて、伝え方も違う気持ちです。だから擦れ違ってしまうかもしれない。それでも、大人になるために失ってはならないと想えるものです。言葉で伝えきれない、のび太たちの行動で感じとれる気持ちなのです。

時代の進歩と共に映像表現が革新されながら語り継がれていく物語の存在感があり、何十年先の未来にも新しい可能性があるドラえもん作品の1つです。

 

 

 

2018年現在、ネットワークに繋がれAIに管理された家電は既にたくさんあります。これからも身の周りのあらゆる物がネットワークに繋がれ、AIが活躍し、日常生活が革新されようとしています。人間が労働しなくても良い、労働の苦しみから解放される世界が待っているのかもしれない。

そうして効率と利便性の成れの果てに、AIが人間を駆逐するかもしれない時代が近づいているのかもしれません。

制御の効かないAIの行動に立ち向かえるのは、同等以上の性能を持つAIだけでしょう。そうして人間を守ったAIも、いつ人間を見捨てるか分かりません。その時、人間はコンセントを抜く事しか出来ないのではないでしょうか。

そうなってしまう前に、AIが人間に対して共存を選択できる事が理想になります。人間のおもいやりがAIへと伝わる時代が訪れてほしいと願うばかりです。

 

おもいやりを伝える事は、人と人のふれあいも同じ事ですね。