シッポノリンカク

映画好きで絵描き好きな曖昧模糊な記憶。又は、自由闊達な解説。或は、落書き。

無彩色の午後:インターメディアテクにて。

今回は、前回よりの続きであり、インターメディアテクに行ってきた感想です。

 

kimerateiru.hatenablog.com

 

 

疲れているから。

 六本木より東京へと移動して空腹を満たそうとKITTEへ向かい歩いている。KITTEへの目的は、2、3Fのインターメディアテクである。巨大な骨格が展示してあると知り、いつか行ってみたいと思っていた場所だ。

 ランチの時間帯を過ぎても飲食店は何処も混雑している。パッと目に飛び込んだ銀座ハゲ天の看板に直観を感じ、鶏天弁当で休息する。美味しい。サッパリした天つゆだ。鶏の脂に奥行が広がる。全然パサパサしていない。ナスも美味しい。歯ごたえと甘味を口腔で楽しみ、鼻腔へと香りが抜ける。私は幸せ者だ。

 しかし、なんとも自虐的な店名だ。その清々しい店名に惹かれたのか、銀座の天ぷらに惹かれたのか空腹感を満たしてしまった今では思い出せない。飢餓状態の直観は侮れないモノだ。動物的な洞察力と経験が導いた結果だろう。…恐らく。

 もしくは、単純に名づけ親の開き直りに感銘を抱いたのだろう。個性を受け入れた者の潔さは人生において見習う所が多々ある。とにかく、昼食は大当たりであった。

 

陰影の世界にて。

 エスカレータでKITTEの2Fへと向かう途中、満腹感により眠気を感じる。しかし、インターメディアテクに辿り着き、目が覚める。白い、明るい。ツヤのある白い空間演出の効果により広大な空間に感じる。周辺の店舗と比べられない規模を感じる。ロビーより、係員の誘導によって、まず2Fの部屋へ足を運ぶ。

 その空間にも白がある。しかし、先ほどのロビーの白さとは質が違う。ツヤが無い。内装は落ち着いた色彩である。その空間を、くすんだ白が占拠する。奥行が白を圧縮する。

 透明感を感じない白の正体は骨だ。圧倒的な数の骨格が存在する。高い天井で奥行ある室内から、くすんだ白が群れを組んで目に飛び込んでくる。一度に、これほどの数の骨を見たことがない。過去に博物館で骨格標本を見た事はあるのだ。だが、ここでは密集した雰囲気がある。骨格に対する細々とした説明ボードが無い。かつての姿を表現した絵が無い。

 内装に本棚があり、窓がある為か誰かの私室ではないかと感じる。もしかすると、研究室だろうか。展示物を直射日光からの被害を防ぐ目的で展示空間は、窓が無い設計が多い。しかし、窓からの明かりで骨格に自然な陰影が生まれてる。骨格に眼を奪われているはずなのに、いつしか陰影を観ている錯覚に陥る。陰影の濃淡で骨格の大きさと形状を、曲線の強弱を理解する。生物形態の根幹を成す美しさがそこにある。

 まるで、石膏デッサンの観察だ。恐る恐る、奥へと足を運んでみる。

 カエルの骨格がいくつか並べてある。とても、小さい。細やかな手仕事だったのであろう。

 クジラの骨格も大きい。脊髄の曲線が海での遊泳を想像させられる。

 キリンやダチョウの骨格もある。大きい。情報の多さに形容が単調になってしまう。

 馬の骨格は前足を蹴りあげている。大きい。そして、美しい。

 この空間にある展示物の配置は、全て美術品に思える。

 その美術品が私室に配置してあるのだ。ここはまるで、収集家の部屋だ。

 さらに、奥へ奥へと足を運ぶ。剥製がある。植物の標本がある。貝もある。そして、海外の神像までもが配置してある。やはり、ここは研究室ではない。

 収集家の部屋だ。支配者の私室なのだ。…多分。ここは貴重な体験のできる場所だ。

 

凌駕する空間。

 2Fを巡回し、3Fへ向かう為にロビーに出る。直階段のある吹き抜けの壁にワニの骨格が在る。

 ワニは地を這う生物なのだが、2Fから3Fへと頭を上に向け縦に配置してある。初めて見るワニの姿だ。左右に脊髄をうねらせ、天を目指している様だ。まるで昇り龍じゃないか。

 あまりにも洗練された美意識の配置に、もうワニではなくなってしまった。

 龍の骨格に思える。多数の牙と堂々とした顎骨は、全ての生物を噛み砕く硬質感であり、吐き出す炎の熱に耐久性のある骨格に思える。しかも、その骨格は白くないのだ。まるで煤が沈着した様に暗く赤茶に染まっている。解放感のある白い空間の奥に、その骨格は存在するのだ。邪悪な轟火で血肉を焦がす壮絶な戦いの痕跡を証明しているのであろう。

 神龍大戦だ。生物の頂点を昇り詰めた龍同士が、己の存在を懸けて戦い抜いた痕跡がそこにある。その骨格に宿る高貴な魂が、この空間に緊張をもたらす。龍は架空の生物ではなかったのだ…と中二病をこじらせてしまった。

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 この時に至り、蓄積した疲労が判断力と理性を鈍らせ、妄想の糧になりつつある。執着さえ感じる収集品に、時代の経過がその情念を増幅させて存在した様に感じる部屋での現実感が、認識する空間を歪ませる。脳内で現実との隔離が始まっている。

 極めつけは階段を昇る場所に設置された鏡だ。その鏡が歪んでいるのだ。覗き込んだ私の像を歪ませる。

 歪んだ鏡像の私。明るく広大な吹き抜け。異様に幅の広い踏面。ツヤのある白は空間を膨張させる。様々な生物の骨格。架空の生物の亡骸まである。

 ああ、ここは創造主の間なのだ。時空の歪みに存在する場所だ。宇宙では、光として認識できないのだ。おいそれと足を踏み入れられる場所ではないのだ。選ばれたのではない、迷い込んだのだ。先程まで鶏天弁当を食べていたのに。

 そうだ、ここは東京だ。日常では体験できない空間に圧倒され、疲労と眠気に認識を誤ってしまった。この場所の素晴らしさは体感した者でしか語れない感動がある。

 3Fの展示物は鳥の剥製だ。そこでは、ものすごい種類の鳥を知る事となる。

 

時流によって磨かれる資質。

 その後、屋上庭園でゆっくりと休んだ。小春日和の下、都会のビルの一角に緑が広がっている。緑越しにガラスの建造物が存在する。自然の恵みと人間の合理性のコントラストが何故か心地よかった。

 その場所から眺める東京駅は孤高の風格がある。東京駅の様で在りたいと思った。

 

後日、疲労と共に風邪をこじらせました。