シッポノリンカク

映画好きで絵描き好きな曖昧模糊な記憶。又は、自由闊達な解説。或は、落書き。

レッド・セルフポートレート・ペインティング:鴨居玲展 踊り候え

 

 鴨居玲の自画像は怖くて向かい合えない。

 前回、暖冬から秋の風景を思い出し、佐伯祐三の自画像を思い出した。

 そして、今回は自画像から鴨居玲の絵画を思い出した。

 2015年の初夏、「北陸新幹線開業記念・没後30年 鴨居玲展 踊り候え」が東京スーテションギャラリーで行われた。

 以前より鴨居玲の作品は画集や映像で何度も観る機会があり、興味があった。その時も東京まで足を運び、原画を感じたいと思っていた。

 でも、行かなかった。いや、行けなかったのだ。原画に向かい合う度胸がなかった。

──なぜ描くのか、何を描くのか。常に己に問いかけよ。──

 師である宮本三郎から、鴨居玲に投げかけられた言葉だ。

 鴨居玲は遅咲きの画家である。そのせいもあってか、晩年の彼の画からは、もがきを、闇の部分を感じる。投げかけられた問に対して必死に答えを探そうとする熱気を感じる。時として、その熱気はムッとした湿気さえも感じる。闇と熱が混然一体としている印象だ。

 その熱は、ネガティブさも含んだ熱だ。情念なのかもしれない。

 だから、観ている方もネガティブが露になる。自身に内包していた闇が膨らんでしまう。

 

 心中では、霧が立ち込める暗く寒い静かな水面から波音を立てることもなく、気が付くと「ぬっ」とその闇は現れ見下ろしている。

 

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 筆運びと色彩の虜になると、心中では闇と対峙している。とても孤独な絵画鑑賞だ。

 その画の人物画のほとんどは彼の自画像である様に感じる。鴨居玲は、鏡で自身を確認しながら画を仕上げたらしい。だから、自問自答が画に反映した様に思える。

 

 だから、原画に向かい合う度胸がないのだ。原画の大きさと勢いに、心が画に飲み込まれる事が怖い。何度も重い腰を上げたが、足を運ぶ事はできなかった。

 それでも、その闇に惹かれてしまう。

 

 日常の何気ない事で私の心に小さな闇が転がり落ちる。その闇はあまりに小さく気付く事が出来ない。そして、日々ひっそりと成長している。

 鴨井玲の絵画を鑑賞していると、その成長した自身の闇を感じる事が出来る。そして、熱気から闇と対峙する勇気をもらう事もある。

 

 鴨井玲の“自画像(絶筆)”は強い赤で描かれている。画家の熱意を感じる強い赤だ。

 佐伯祐三の自画像からも強い赤を感じ、惹かれた。

 画家の自画像から感じる赤からは熱意を感じる。赤は私にとって特別な意味を持っているのだろう。

 心で感じたものを色彩として表現する事の困難、それに立ち向かう姿勢に心が励まされる。

 

 今、こうして思い返すと、やっぱり原画を観に行けば良かったと思う。

 

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