シッポノリンカク

映画好きで絵描き好きな曖昧模糊な記憶。又は、自由闊達な解釈。或は、落書き。

その花の季節の不安:利休にたずねよ

 

以下ネタバレ注意です。

 美意識に触れ合う喜びを思い出した映画だった。

 映画・“利休にたずねよ”は春の嵐から始まり回想へ至る。

春に嵐はつきもの

 雨の日。利休が切腹するその日、三千の兵が一人の茶人の邸宅を包囲していた。

 利休とその妻である宗恩は縁側で庭を眺めながら会話をしている。

 そして、宗恩は利休にたずねる。利休の想い人について…。雨は雷鳴と共に雹へと変わり、庭を騒がす。沈黙する利休は雹の降る砂浜と女人の追憶に落ちる。

 その時に写る利休の横顔は宗恩の眼差しなのだろう。ゾクッと宗恩の情念に寒気を感じながら、一輪の花が咲き、タイトルが浮かび上がる。ムクゲの花だ。

茶は人の心にかなうのが大事

…そして、切腹への回想が始まる。

 水面に月を写す。室内に桜を散らせる。利休の美意識には知識よりも自然の儚さが潜む。

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 そんな利休に対して宗恩は不安を感じている。妻として選ばれた事に対する不安を利休に伝え、改めて妻と認められ安堵する。

 宗恩のささやかな喜びと不安の表情が印象的だ。利休の美意識に触れる喜びと、利休の美意識にかなう事ができないかもしれない不安を感じる。

それを見出せる者にしか解らぬ事がございます。

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 利休は信長とつぼみに宿る美について語り、その可能性から美を感じる事を語る。

 そして、利休は美意識に絶対の自信を語る。

 宗恩が不安していた正体は、この自信なのかもしれない。利休の美を理解できない者への眼差しに不安していたのかもしれないと思えてしまう。

 

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今、生きている喜びを一服の茶で

 雨の日の事、利休の姿が見えない事に困惑する娘とムクゲに冷たい視線を送る宗恩の描写がある。雨に濡れたムクゲに宗恩の不安が膨らむ事を感じる。

 ムクゲの咲く季節になると、利休は姿を消す事があるのだ。

 妻の不安がここにもある。そして、妻は利休を探して風の強い浜辺を歩き、小さな小屋の前で足を止める。その背後には大きな波が浜辺に寄せは返している。波の音は荒々しく、物静かな彼女の心の動揺を予感させる。

茶が人を殺すからでございましょう

 利休の美に対する強引さは秀吉の強欲の傲慢と似ている。利休に切腹を命じた秀吉の本心は同族嫌悪であるかのようだ。

 利休のその美意識はさらに青年期まで遡り、他国の食事を口にしない女人への恋を描写する。そこに宗恩の知る事がなかった不安の根源がある。

 

 そして…、利休は茶室で自害する。その死を発見した宗恩は、とっさに利休が片時も手放さなかった物を取り上げる。そこに女人の情念が発露する。

 

 利休の愛する女人達には気高さがある。他国の食事を口にしない誇り。夫の美意識に絶えず寄り添い支える事の誇り。娘も誇りゆえに自害してしまう。その誇りゆえに情念は理性で覆い隠されてしまう。

 

 美とは曖昧な感覚だ。

 美はフィボナッチ数や黄金比のように数式で説明できるが、それを超越する感覚がある。

 美に対する感覚は、経験や感情によって人それぞれ異なる。そこに個性がある。だから、その人の美意識を知りたくなる。そこに宿る感情の機微に触れたくなってしまう。

 しかし、大切な感情ゆえに他人が触れる事は難しい。だから、探ってしまう。触れられない度に触れたくてたまらなくなってしまう。誇りがその感情を抑え込み、情念の熱が内側に籠ってしまう。自身の美意識の感情が深ければ深いほど、他人にも同じ深みがあるのだと思い込んでしまう。

 だが、他人の美意識を全て理解する事は不可能である。完全に心が解け合う事は絶対にないのだ。だからこそ、理解しようとする想いに人間味を感じてしまう。

 だから、利休を愛する女人は、彼の美意識に触れ合う時に喜びから微笑むのだろう。

 利休の美意識に微笑む宗恩が印象的だった。