シッポノリンカク

映画好きで絵描き好きな曖昧模糊な記憶。又は、自由闊達な解説。或は、落書き。

蔓と果実のシルエット

今週のお題「植物大好き」

 

アサガオのツルが好きだ。ツルは日光を集める為に伸び、葉を広げ、花を咲かせ、種子を実らせる。その伸び行く軌道は、趣きのある曲線の美を秘めている。

 

学年は忘れてしまったが、小学校低学年の理科の授業にアサガオの観察があった。縦横の細い骨組みが一体になった植木鉢の中で、アサガオの成長の過程を観察する。1人が1つの植木鉢でアサガオを育て、クラス全体の成長の個体差を見比べる観察でもある。観察を終え、その植木鉢は夏休み前に自宅へ持ち帰らなければならない。しかし、その植木鉢が重い。プラスチック製の植木鉢なのだが、幼い体には大きく持ちにくい。帰宅への道のりは過酷だ。日本中の小学生が体験する事なのだろう。如何にして持ち帰るかという困難は、通過儀礼の1つだ。下校中、何度川に放り投げちゃおうと思った事か。

 

そのアサガオ観察の授業の過程で、NHKの理科番組を鑑賞する時間があった。教室を暗くして、TVの明るさに注視する。番組の中で「アサガオの時間を圧縮して見てみましょう」と言う言葉を合図に、クラスの一部の男子は苦しみ出す演技を始める。その事に先生は小さく注意するだけ。他の生徒は、またかという気持ちでTVを見ている。TVの映像ではウネウネとアサガオのツルが伸び、次に絡まる場所を探している。時間の圧縮とは、映像の早回しの事で、一部の男子の演技は急激な時間経過による老化現象に苦しんでいたのだ。

暗い教室の中、この世に生を受けて10年位の可能性の種子が、開花を体験する事無く老いに苦しみ悶えている。パブロフの犬の様に、そのセリフに反応した男子。教室ではその対処になれていた。さらにTVの映像では、早回しのアサガオのツボミは開花しようと広がり膨らんでいた。その光景を教室の後方から心地良く眺めていた事を覚えている。

今、思い返すとこの教室ではアサガオの生命の喜びと、疑似老化の苦しみが支配していた。エロス(生)とタナトス(死)だと気が付かなく、そのコントラストを楽しんでいたのだろうか、もしくは約束事の日常を感じて安心していたのだろう。

しかし、時間の圧縮と老化の苦しみの元ネタは解らないままだ…。

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 芸術の中でも植物を観察する事ができる。エミール・ガレはガラス工芸で植物を表現した。溶けたガラスの柔らかさと透明感を永遠にした表現が、植物の造形美と共鳴している様に感じる。曲線美や色彩美の根源とは、植物なのかもしれない。人類が知性を身に付ける前から、植物世界の曲線や色彩から美意識を育んできたのかもしれない。だから、植物に囲まれて落ち着き、花を飾って気分を変える事ができる。

さらに、その美意識は人体造形にも影響を与えんたんじゃないかな。毛むくじゃらの獣が植物に憧れて人間の造形を手に入れた根拠は無いのだが、ファンタジーとして語るなら面白いと思うんだ。

思わぬ瞬間にリンゴや洋ナシの造形美に見惚れて溜め息をもらすのは、植物から人体の造形美を見出したときだ。あぁ、ステキなお尻だ…なんて。

グリーンカーテンのゴーヤ収穫に硬直した女性を見た事があるんだよ。あの表情を恍惚と表現するのだろうと思った。

しかし、その感覚は美意識の逆転なのかもしれない。人体の造形美の中に、植物の造形美があるのではないかと思う。

そうして、人は植物の美意識に憧れ、子孫を増やし育んできたんじゃないかな。などと大げさに妄想する事がある。

 

今年も夏の息づかいを感じる季節になった。メッシュフェンスにツルを伸ばすアサガオに見惚れる季節がやって来る。陽射しを避け湿気に蒸せる日に、アサガオのツルが健気に伸びていくのだろう。アサガオのツルを眺めるのが好きだ。