シッポノリンカク

映画好きで絵描き好きな曖昧模糊な記憶。又は、自由闊達な解説。或は、落書き。

無理矢理に剥かないで:6才のボクが大人になるまで

 

映画・“6才のボクが大人になるまで”で描かれている家族に釘付けになってしまった。

鑑賞しはじめて少し戸惑ってしまう。ストンと時間が飛んで、新しい展開が始まっては終わるからだ。新しい展開についての回想はない。淡々と、ぶつ切りにされた日常が時間列順に映し出される。表情や会話の中で、なんとなく環境の変化を察して家族の存在を楽しむ事ができた。楽しみ方が分かると没頭してしまう映画なのだ。

 

主人公の少年は、感性に夢を抱く大人になっていく。幼さを育んでくれた親の年齢へと近づいていくのだ。その過程で、真剣に子供と向き合い、励まし合う親子が描かれている。時間の経過と共に、描き出される人々の顔つきの変化に成長を感じる。髪型や身長と共に物事の捉え方も変化していく事に気付く。その時間を体験する事で、一緒に成長を見守っている様な錯覚を感じてしまうんだよ。その変化は葛藤を受け入れた証と感じると、共に成長を喜びたくなってしまうのだ。

 

圧縮された時間の演出に感動してしまう。日本の結婚式ではお約束の演出である、新郎新婦の歩みでは、毎回感動させられてしまう。友人であれ、親族であれ、初めて会った人の歩みであっても感動してしまうんだよ。

純粋な顔つきは好奇心に溢れ、必死に物事へ取り組んでいた表情はグレて周囲を威嚇する。そして、恋人との時間が表情を和らげる。

そんな時間の一足飛びの間にある喜怒哀楽の積み重ねを感じて感動してしまう。変化のある成長をして、人格が育まれたのだと思うと感慨無量である。それと共に両親の老いへと目がいき、感動が共鳴してしまうんだよね。

苦労を重ねた人の老い方は、カッコイイの一言に尽きる。

だから、葛藤を受け入れ、苦労を重ねた人の顔つきや言葉に惹かれる。同じ内容であっても、どこか魅力を感じて聞き入ってしまう。直感的に惹きつけられてしまうのだ。あえて言葉にするならば、遠回りして景色を見てきた人の説得力なのだと思う。理想と現実の落差に対する忍耐力かもしれない。

 

最近、知人の結婚式に招かれた時も新郎新婦の歩みに感動してしまったよ。

同席した林業の知人が語った樹皮の話が興味深かった。樹皮は害虫や外気から樹木を守る為にある。しかし、樹皮が劣化し、新しい樹皮を成長させる為に自然と剥けていく。樹木によっては年間3回も剥けるらしい。

妄想する…黄昏時、林の中で樹皮の剥けた樹木から哀愁を感じる。樹木の樹皮がズルリと大きく剥け、根本にダラリと横たわる。その樹皮の下から、新しい木肌が覗ける。何かに負けた者の背中の様だ。だらしなく滑稽さを感じる背中。憎めない黄昏者は負けを飲み込み、明日を睨みつけている。そんな擬人化から勇気を貰える。

 

しかも、樹皮は漢方薬にもなるらしい。闘い薄汚れた証は誰かの良薬になる。嗚呼、闘いとは勝つ事ではなく。負けない事なのだ。樹皮にどんな効能があるか知らないんだけどね。

しかし、人間が無理矢理に樹皮を剥くと樹木は枯れてしまうらしい。伐採の代わりに樹皮を剥く事があるそうだ。

一皮剥こう。殻を破ろう。と声高に自己啓発を進める事をよく目にする。自身を前向きにする考え方は健康に良いと思う。しかし、心の成長に焦ると健康を失う事がある。人それぞれに成長の速度があるから焦りは禁物なのだ。しかし、解っていても不安ゆえに成長に無理な力をかけてしまう。愛する人には、粉骨砕身の覚悟で献身的になってしまうものだ。

だから、“新郎くん。無理矢理に一皮剥くんじゃないぞ。痛みが沁みるぞ。”と心から励ましてみた。頑張っている者に頑張れと言って、頑張りますと言わせたくない。心のままに進む事が肝心で、その背中が人を突き動かすんだ。結果は良かれ悪かれ心の糧にすれば良い。泣きたい時は一緒に泣かせてくれ。良い結婚式だった。ロッシーニ風の牛フィレステーキ、ローストポテト添えが最高だったよ。

 

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映画・“6才のボクが大人になるまで”の楽しみ方は鑑賞ではなく、体験に近かった。

どんな時でも未来は不安が付き纏うモノである。喜びを感じるから悲しみを感じてしまう。それでも、家族や友人に囲まれ、感性豊かに生きていく。現在を前向きに捉える事で、いつか報わる時が訪れる様に思える映画でした。