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シッポノリンカク

映画好きで絵描き好きな曖昧模糊な記憶。又は、自由闊達な解説。或は、落書き。

お見事な行間:真田丸 のぼうの城

戦争

 

以下ネタバレ注意です。

大河ドラマ真田丸”は、24回「滅亡」でとうとう北条家滅亡まで進んだ。

その劇中、北条討伐の過程である忍城攻めで石田三成が苦しめられる。

小田原で、昌幸たちが降伏した北条氏政の延命と武士(モノノフ)としての矜持を共感している間、三成は忍城攻めに苦心する。その後、援護に駆けつけた昌幸があっさりと謀略で忍城を攻略してしまう。氏政の絶命までの期間の忍城攻めが描かれていない。だから、氏政の余命に対する葛藤より、三成の苦心に対する時間量が多い事を感じる。そして、サラリと昌幸が忍城を攻略してしまう事で、三成の苦心の時間は、昌幸にはこの程度なのだと描かれてしまう。あまりにも哀れな三成に共感してしまう。負けるな、三成。

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もし、その忍城攻めの攻防が映像で知りたいなら、映画“のぼうの城”をオススメします。

のぼうと呼ばれる成田長親がいかに合戦を覚悟し、いかに戦い抜いたかが描かれている。坂東武者の槍の味が存分に楽しめる。

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史実上、忍城は水攻めにあう。のぼうの城で水攻めは見所のひとつである。忍城の周りに堤を築き、水を貯め、一気に放った水量で忍城を攻める。真田丸と、のぼうの城、それぞれで描かれている石田三成の水攻めに対する捉え方を見比べると面白い。

真田丸の三成は、犠牲を少なくする為の水攻めである。三成は圧倒的な状況に降伏しない忍城に困惑する。三成の情けと人心に対する経験不足が描かれている。

そして、のぼうの城の三成は、圧倒的な力に取りつかれている。水攻めによる、その圧倒的な力に抵抗する人の志に興奮する。人の持つ正義感に期待している事で人柄が描かれている。

どちらの三成が善し悪しの話ではない。どちらの三成も人間臭く面白いのだ。作家は史実の行間を読み解く事で、その人柄を描き、歴史を伝える。その物語の中で生き抜く人々に歓喜や悲哀を感じる事で自身の感情を確認する。人が生きる姿に心が揺さぶられるのだ。

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真田丸の三成は、忍城攻めで昌幸の卑怯でも犠牲の少ない戦を知り、学ぼうとする。関ヶ原に向かって三成がどう成長していくのか楽しみだ。

そして関東制圧後、秀吉と正宗の天下餅のシーンが間抜けで面白い。緊迫感が抜けて物語に緩急が感じられる。秀吉と正宗が熱を上げ、喜々として声を張り上げ餅をついているのだが、昌幸ら周りの武将は冷めている。正宗に対する落胆でもある。しかし、このシーンを深読みしてみると重要さが感じる。餅になる過程が北条滅亡までの時間であり、それに対する武将の温度差を表現している様に感じる。その温度差が、これからの豊臣の時代に立ち込める暗雲を予感させるのだ。

 

さて、今回の真田丸は、氏政の矜持と哀愁や三成の愚直と苦心を描いているが、伊達正宗の印象の強さには勝てなかった。色々な意味で圧倒的な存在感だった。独眼竜と美化された現実を描こうとした手法なのだろうか?正宗のキャスティングにガッカリしている反応に、ほくそ笑んでいる者がいるかもしれない。罠ならば、仕掛けられた罠にハマって楽しんでしまおうと思う。戦国時代には写真すらなかったのだ、ウワサには幾らでもヒレが付いてしまう。想像は人を竜にまで育て上げたのだ。ウワサの過大評価も戦国を生き抜く謀略のひとつだ。正宗に豊臣討伐を期待した昌幸たちの絶望が劇中から伝わってくる。ずんだ餅の味さえ想像できる様だよ。

これからも三谷幸喜が史実の行間をどう読んで描こうとしているのか楽しみだ。

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