シッポノリンカク

映画好きで絵描き好きな曖昧模糊な記憶。又は、自由闊達な解説。或は、落書き。

フリダシへ戻る。じゃぁない。:ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声

 

※以下ネタバレ注意です。

声楽が好きな人なら、ボーイソプラノという言葉の響きだけで切なさを連想させてしまうタイトルの映画です。少年には変声期があり、高い声から低い声へと変化します。発声器官の成長に伴なって声質が変化します。そのわずかな時間の産物。

ボーイソプラノとは、少年のままでいられる時間の美しい高音の音色です。

 

この映画の主人公の少年ステットは、家庭環境の不健全さや自己表現の不出来さから、口数が少なく非行の日々を繰り返している。いわゆる、はぐれたひねくれ者です。そんなステットに校長先生は合唱の才能を見出し、才能を伸ばすチャンスを与えるがステットは逃避してしまう。周囲の大人のだらしなさから、大人を信用していないステットが画面から伝わってくる。

それでも、ステットは声楽へと導かれる。母親の死をキッカケに名門の音楽学校へと進学する事になる。

 

ストーリーは実にシンプルです。終盤の大どんでん返しはありません。少年が声楽に導かれ、歌への好奇心から自己表現を身に付けて成長していきます。特異体質から超能力ヒーローになったり、世界の危機を救う事はありません。平凡な少年の葛藤と成長が描かれています。その少年の成長に感動があります。

口数の少ないステットは、葛藤しても誰かに感情的な想いを言葉にぶちまける事はなく、一方的な苛立ちの行動で表現します。窓を割り、機材を破壊する。言葉がないステットの姿に悲しみを共感します。そして、声楽への好奇心から声を育んでいく姿に見守りの錯覚さえ感じてしまいます。

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そんなステットは、声楽の楽しさや自信を身に付ける事で、感情を言葉で他人へと伝えられるように成長し、周囲からも信頼を得て成長する。

行動する姿で感動を伝える事は映像の美点ですね。

 

劇中での少年の合唱がとにかく心地良いです。選曲もどこかステットの心情を重なり、聞き入ってしまいます。

少年合唱団は日本へとツアーへ向かうシーンが描かれていて、先生から日本では音を外すとス~シ~にされると脅かされます。日本文化が曖昧な外国の子には「また同じ事をしたら、ス~シ~にしちゃうぞ!」って効果があるのかもしれませんね。

 

そして、ステットの美声は肉体の成長と共に失われます。今まで美声を育んできた日々は思い出としてしか残りません。もう、美しいソプラノは発声する事は叶わないのです。

残念な結果ですが、努力とは全てが報われるとはかぎりません。でも、その過程で自分を知る事ができます。自分が好きな事、夢中になれる学び方など、どう自分を活かす事が重要なのかを見付ける事ができます。築き上げた事が崩れ去る事は虚しいです。価値のある日々を過ごしてきたのなら、その虚しさは計りせれません。

それでも新しい環境へと身を置くステットがたくましく見えます。あんなにも世界に背を向けていたステットは、成長して世界へと自ら向かって行きます。

遠回りしても何かの為に人生の時間があると思えてくる映画でした。無駄な時間はないのだと。

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劇中最後の少年から青年へのステットを作画したかったのですが難しかったです。線画の段階では掴めていたと思ったのですが、仕上げてみると少年の面影がわずかに残る印象になってしまいました。成長したステットへの思い入れが強すぎました。

この作画とは、自身の印象を線画へと捉え、色彩で質感を表現する一連の作業です。その線画に色彩を与える作業で違和感が出てしまう。捉えようとした印象の結果ではないと脳内が混乱してしまう。色の効果が部分の印象を変えてしまう。だから、もっと目が小さかった。とか、口の大きさが違うと思えてきて表情が変化してしまう。結果、知人からも色彩でダメにしてしまうとディスられてしまう事がある。

よし。少し線画を修正しよう。色彩を変化させてみよう。と前向きに打ち込んでも幸福が訪れるとは限らない。てんやわんやと作画のバランスが崩れ、表情の混沌が訪れてしまう。

更に、前向きな気持ちから完成への期待だけが大きくなる。そして、その結果と期待の落差に、さじを投げたくなる。

でも、その違和感が面白い結果になる事もある。その時は自身の新しい感覚を発見した時なのだと思う。その感覚が作画へと好奇心を刺激する。そして、無性に絵が描きたくなる。やはり、才能と努力のバランスですね。日々、精進あるのみです。

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