シッポノリンカク

映画好きで絵描き好きな曖昧模糊な記憶。又は、自由闊達な解釈。或は、落書き。

見上げる。

 

炎天下に影を落とす東京駅の映像を眺めていると、シン・ゴジラに熱狂した去年の夏を思い出します。そして、その熱気の記憶は2012年秋の記憶をも意識の片隅に再生させるのです。

 

その秋の日の記憶は東京駅から始まります。山陰地方の知人宅へ宿泊休養する為に東京駅に訪れました。新幹線での旅です。しかし、その新幹線に乗車する前に訪れなくてはいけない場所がありました。東京都現代美術館です。

 

東京駅から現代美術館までは都営バスを利用します。バスの待ち時間を利用して駅前のビル街を散歩していました。そして、思わぬ作品と出会う事が出来ました。

それは、丸の内オアゾの一階ロビーに展示されていたピカソの“ゲルニカ”です。それは原寸大のレプリカでした。とても巨大な作品です。

ナゼここに展示されているのか?作品を見上げ、茫然自失の体に疑問が浮かびます。しかし、詮索を霞ませる程に作品の存在感は強烈でした。大きくなる好奇心が徐々に意識をしっかりとさせます。絶望や怒り、悲しみが伝わってきました。白と黒、光と影が表現された圧倒的な世界観が広がっています。時間調整の退屈さは無く、いつまでも眺めて居たい時間でした。

その後、現代美術館へ向かうバスの中では、ゲルニカの衝撃を反芻していました。黒塗りの国産車が多く目に写る街並みを進んでいると、ゲルニカ惨劇の感情が反響する。経済活動が行われている平和な街並みと不協和音の感情。そんな不可解な心持ちの身体はバスに揺られ、現代美術館へ向かったのです。

 

その時の現代美術館で行われた企画展は“館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技”です。

特撮技術の歴史、過去の特撮美術も展示されていました。

そして、目玉企画ともいえるのが平成に再現された巨神兵です。巨神兵は、“ナウシカ”の劇中で王蟲の群れを薙ぎ払い、滅亡の書において「光を帯びて空をおおい、死を運ぶ巨いなる兵の神」と記された存在です。

その巨神兵が東京に現れる短編映画と制作過程が公開され、その舞台となるディオラマを歩き、撮影まで出来る豪奢な内容です。ディオラマでは東京タワーが熱で傾き、建物は融解している。瓦礫の隙間で砲塔を掲げる戦車を見付ける事ができる。圧縮された光景を見上げ、圧倒される熱意のままに撮影した時間でした。それは、とても貴重な経験でした。

 

丸の内オアゾゲルニカと、企画展で上映されていた“巨神兵東京に現わる”は共に衝撃的な印象が強く、心の内で奇妙な共鳴が生まれました。

ゲルニカで描かれた戦火の恐怖と、プロトンビームで焦土と化す東京。

東京から山陰地方へ向かう新幹線の移動は、燃え広がる東京の炎から西日本への疎開ではないかと思われ、妄想の現実逃避が終息を迎えるまでに時間を要しました。

期待と喜びの予感で満ち溢れた旅は、思わぬ不安に満々た移動となってしまいました。

しかし、久しぶりに会う知人達の笑顔や、会場限定カプセルトイの奪い合いに不安は消し飛び、安堵の胸を撫で下ろしました。

手元に残ったカプセルトイは、たった1つになってしまいましたが…。

 

その後、多忙な知人達との夕食会まで、独り気ままに散歩しました。歩き疲れ、倒木に腰かけ見上げる山々は穏やかな表情です。すっ、と涼しい風が袂を通り抜け、青空の一部が赤く滲み出す。喜びで掻き消されたはずの妄想が、むっくりと膨れ上がる。周囲を山で囲まれ、方向感覚の無い土地で見上げた夕日は不気味に感じました。赤い空は西の方角なのに、東の空である様に思えてしまう。山を越えた先に広がる街が燃え上がり、空を赤く塗り広げている様な、孤独で不安な空でした。

 

 

シン・ゴジラの興奮を再確認する為に東京駅へ訪れる予定があるのでしたら、丸の内オアゾで展示されているゲルニカもオススメします。

ヤシオリ作戦が指揮された、皇居の北側に位置する北の丸公園から東京駅を眺めた時、その遠方に東京都現代美術館が位置します。

奇しくもそれは、東京駅を境界にシン・ゴジラが存在し、その奥に巨神兵が襲来する構図にもなります。

もし、そんな絶望が語られる時、必ず何らかの希望が紡がれる。それが物語の魅力だと思うのです。

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