シッポノリンカク

映画好きで絵描き好きな曖昧模糊な記憶。又は、自由闊達な解釈。或は、落書きやネタバレ。

照り返す白い庭:聖の青春

 

聖と書いて、さとしと呼ばれた棋士の物語です。

映画“聖の青春”では1994年の西日本の春を舞台に描かれていきます。聖の風貌は、大きい身体に毛量の多い髪と伸ばした爪。彼は、桜舞い散るゴミ捨て場に倒れ込みながらも、対局へ向おうとする熱意に満ちている。

聖は闘病しなくてはいけない身体でありながら、将棋界で生命を燃やします。

この物語にのめり込んでいくと、生命の限界を実感しているからこその闘志、勝つ事への執着に圧倒されます。そして、聖の風貌も生命の大切さ故だと描かれています。

少女マンガ好きでロマンティックな青年の物語でもあります。

 

当時の東日本では羽生名人の強さが圧倒的な存在です。

聖は羽生名人との対局に敗戦してしまう。

そして、聖は羽生名人を倒し、自身も名人になる為には今しかないと東京へ進出する。

 

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雪景色の日本庭園を望む畳の間での対局が印象的です。

それは、聖の待ち望んだ羽生名人との一局。対局を見守る者が場の緊張感に圧倒される大局。聖は寒さ故か腰の痛みに耐え、その痛みを表情に出さず、やせ我慢で名人に挑む。

対局中、名人は次の一手を考えながら立ち上り、庭へと視線を落としている。その姿に聖は気付き、横に並んで同じように視線を落とす。

白く膨れ上がった築山の背後から黒い斑がゆっくりと現れる。それは、白地に黒い斑模様の牛柄猫が気ままに散歩している。ミャアと機嫌の良さを伺える愛嬌のある健康な猫です。

その一匹の猫を眺める二人の表情には、対極の反応が浮かび上がります。

極寒の厳しい世界で気ままに散歩する猫を眺め、名人の緩む表情から自由を感じます。一方、生命のたくましさに表情が強張る聖には嫉妬を感じるのです。

その後の厳しい対局で、聖は驚愕の一手を指す。見守る者達がざわめく一手です。前のめりで勝負に挑んでいる並々ならぬ熱意の一手なのです。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ!

身体の痛みと共に勝ちたいという本能が聖の活路を見出したのかもしれませんね。

 

同じ物事を受け止める立場の違いで、その印象は大きく変わってしまう。そして、言動に変化が生まれる。そうした経験の一つひとつを繰り返しながら棋風という個性を築き上げるのではないだろうか。

仕組みの違う二つの世界が将棋盤の上で伝統ある秩序を保ち、鋭く思考の展開を極めていく。

将棋は二人で指すものであれば、互いの刺激がより高度な戦略を導きます。負けたくない、勝ちたい、その想いのせめぎ合いがより深い潜考へと誘引する。

そうした精神結界のような内側で描かれる対局もこの映画の見所です。

対局中の二人を除いた外側の空間がスローモーションになる演出がとても良い。周囲の時空を遅延させる事で、二人だけの濃密な時間が描かれています。その時間の中でドップリと思考の海へと潜る二人の高度な知性や、張り詰めた緊張感が伝わってきます。

 

将棋を知らなくても、棋界で行われる人間ドラマの緊張感に、生命の奥側に潜む熱狂が伝わってくる映画でした。

 

努力という言葉は勝者と敗者を分ける便利な言葉です。今現在を振り返って大成すれば努力したから、小成であれば努力が足りないと、結果を見透かしたつもりになれるのでしょう。

でも、心の奥深くから打ち込みたい、のめり込みたいと思えるからこそ、積極的に経験を積み上げられて技術は磨かれる。そして、運良く結果が出るのではないでしょうか。努力という言葉に追い詰められるのではなく、心底興味を持てる事柄に出会う事が大切と考えます。

聖も将棋に出会い、勝ちたいと打ち込みました。その先で出会った仲間も将棋にのめり込みます。皆、勝ちたいと思いながらも結果は違います。それでも、それぞれがそれぞれの居場所を見付ける事ができたのです。

 

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聖の語る、髪も爪も生きていて何かの意味があるんだ。

その言動は、将棋へと自身の生命の意味を刻みたいんだ。と伝わります。

だからでしょうか、髪を整えて爪を切った聖の将棋に、更なる熱意を感じました。