シッポノリンカク

映画好きで絵描き好きな曖昧模糊な記憶。又は、自由闊達な解釈。或は、落書きやネタバレ。

ポリネシア旅情:ゴーギャン タヒチ、楽園への旅

 

心は喜びの虜にされてしまいます。喜びが心へ訪れると、快楽に耽溺して中毒症状がおこりやすい。だから、喜びを求めて放浪してしまう事がある。そこに心柄が現れる。

描く事の喜び、だれかとの関係の喜び、自由であるという事の喜び。

 

伝記映画“ゴーギャン タヒチ、楽園への旅”で描かれているウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャンは描く事を求めてさまよいます。

描く喜びを求め、妻子を残しパリからタヒチへとたどり着いた日々。

病の身体で現地の人々や風景を描く。孤独に追い込まれ、病床においても描こうと絵具を求める。その情念が目を惹きます。

孤独を受け入れ、独りでポリネシアの自然に飲み込まれ、描く事にのめり込んでいく。目にする光の全てが描く対象で、自身を画家として確立しようと生き抜いている。木の実を食べ、自然を描き、森の深みへと足を踏み入る。その繰り返しの日々に迷いを感じない。

そして、森の奥でテフラと出会い、結ばれる。幼妻の存在は画家の感性を柔らかく広げ、彼の表情は明るく弛緩する。二人で森を出た生活は喜びに溢れ、描く対象もテフラへと移ろう。

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人の心も移ろう。

ゴーギャンの喜びの対象は歪み始める。テフラのゴーギャンに対する好意は薄れてしまう。

その後、テフラの行動に疑いを積み上げるゴーギャンは、関係性の構図のみを保とうとする。描く事を止め、テフラを囲う事に執着してしまう。その家賃の為、病に蝕まれた身体で労働の対価を得る日々が続く。

テフラと心の通わない、疑心ばかりが膨らんでしまうゴーギャンへ、描く喜びよりも大切な事を訊ねたくなる。描く対象の本質を探りたくなってしまう。

 

衝動の全ては心が囁く。

ゴーギャンが生きた都会で求められる人材と彼の才能が認められない現実、その末に心が導いたタヒチでの絵画を観ていると、彼の喜びと共に都会で認められたい葛藤も伝わってくる気持ちになる。描く喜びの裏側に、周囲の人々が誇れる人間で在りたいという寂しさが見え隠れしてしまう。その寂しさは名誉欲ではなく、愛する人々を悲しませない優しさです。

心のままに描く事、純粋で野蛮な喜びを感じる映画でした。